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James Jebbiaとは誰か|Supremeを作った創業者の経歴と仕事

SUPREME ARCHIVE 編集 · 更新 2026-07-16

Supremeの最初の店は、商品を隙間なく積んだスケートショップではなかった。服は壁際に置かれ、中央にはスケーターがボードに乗ったまま入れる余白があった。

その店を1994年にニューヨークのラファイエット・ストリートで開いたJames Jebbiaは、スケーターではない。

それでも、Supremeは観光客向けの「スケート風ブランド」にはならなかった。

Jebbiaの仕事は、自分がスケーターを演じることではなかった。店の主役をニューヨークの若いスケーターに渡しながら、彼らが欲しがる服と空間を小売業の精度で形にすることだった。

19歳でニューヨークへ渡り、店の作り方を覚えた

Jebbiaはイングランド南部のサセックスで育ち、1983年、19歳でアメリカへ移った。

ニューヨークではSoHoのセレクトショップParachuteで働き、通りの向かいにあったComme des Garçonsの店を見ていたと、後年のGQ取材で振り返っている。

1989年にはSpring StreetにUnionを開いた。現在のUnion Los Angelesへ続く店の最初期であり、当時のニューヨークでは見つけにくかった英国ブランドや若いデザイナーの服を扱った。

その後、Shawn StussyとともにPrince StreetのStüssyニューヨーク店の立ち上げに関わった。

Parachute、Union、Stüssyという経歴を並べると、Jebbiaの出発点が服のデザインだけではなく、商品を選び、置き、客に届かせる小売の現場だったことが分かる。

スケートショップが足りないのではなく、合う店がなかった

1990年代初頭のSoHoには、ファッションの店も、スケートボードを扱う店もあった。Jebbiaが見つけた空白は、ニューヨークのスケーターが実際に着ていた服と、既存のスケートショップの品ぞろえのずれだった。

彼が観察した若者たちは、頭から足先までスケートブランドで固めていなかった。Polo、Champion、Gucciのベルトなどを、自分たちの感覚で混ぜていた。

Supremeは、その混ざり方を店に持ち込んだ。Tシャツやフーディー、デッキだけで終わらず、シャツ、ニット、ジャケット、パンツまでを同じ世界観の中で作った。価格はラグジュアリーブランドより届きやすく、仕立てや素材は一般的なスケートウェアより上を狙った。

ここで「Supremeは最初からファッションブランドだった」と言い切ると、話が平らになる。店に信用を与えたのは、日々そこにいたスケーターたちだった。一方で、その信用を服の品質、売り場、写真、音楽、アートへ接続したのはJebbiaと少人数のスタッフだった。

初代チームは広告ではなく、店の所有者に近かった

Jebbiaはニューヨークのスポットへ足を運び、Ryan Hickey、Justin Pierce、Peter Biciらを初期チームへ迎えた。初代チームの名簿は資料によって異なるが、彼らの役割は共通している(初代チーム9人の詳細はこちら)。

店に来る若者は、広告のコピーより先に、誰がカウンターの内側にいて、誰が店先に集まり、誰がそのデッキに乗っているかを見た。スケーターたちがSupremeを選ぶこと自体が、店の説明になった。

Jebbiaはシーンの外から来たが、外部の人間の視線でシーンを上書きしなかった。自分にない技術と信用を持つ若者を店の中心に置いた。この距離感が、Supremeの初期を考えるうえで欠かせない。

限定数より先に、編集の一貫性があった

Supremeは少量の商品を定期的に発売し、売り切れを生むブランドとして説明されやすい。しかし、数量を絞るだけなら模倣は簡単である。

長く模倣しにくかったのは、何をSupremeの隣に置くかという判断だった。Ralph Laurenのアメリカンウェア、Helmut Langの抑制、ロンドンと日本の小売、ニューヨークのスケート、ヒップホップ、パンク、現代美術が、毎シーズン同じ売り場で衝突した。

その判断は、何でも受け入れることとは違う。商品、写真、映像、コラボレーションを選び、Supremeとして成立しないものを外す編集だった。Jebbiaの強みを一語で呼ぶなら、デザイナーよりも編集者に近い。

21億ドルの買収と、15億ドルでの再売却

2020年、VF CorporationはSupremeを21億ドルで買収した。発表時、VFはJebbiaと上級経営陣が事業に残る予定だと説明し、Jebbiaもブランドの文化と独立性を保つ取引だと述べた。

2024年、VFはSupremeをEssilorLuxotticaへ15億ドルで売却すると発表し、取引は同年10月1日に完了した。金額だけを見れば、4年間で評価額が6億ドル下がった計算になる。ただし、買収価格の差だけでブランド価値全体を測ることはできず、VFの事業整理や所有者側の戦略も含めて読む必要がある。

EssilorLuxotticaの発表で、Jebbiaの肩書きは「Founder」と記載されている。公開情報だけでは日々の経営権限まで確認できないため、本稿では現在の彼を安易に「CEO」や「社長」とは呼ばない。

James JebbiaがSupremeに残したもの

Jebbiaはスケートの技術でSupremeを作ったのではない。誰を店の中心に置くか、どの服を作るか、どこまで広げるかを選び続けた。

創業者を神話化すると、初代チーム、店舗スタッフ、デザイナー、映像作家の仕事が消える。反対に、Jebbiaを「運よくシーンに乗った経営者」とだけ見ると、異なる文化を一つの店に収めた編集の精度が見えなくなる。

Supremeの出発点は、一人の天才が流行を発明した話ではない。自分が持っていない信用を理解し、その信用が生きる場所を設計した小売業者の話である。

1994年の創業から現在まで、Supremeがつくり続けてきたアイテムの一部は当サイトのアーカイブで見られる。

出典

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